【Column】Jウエルネスを考えるⅠ― 世界は動いている。では、日本は?

Jウエルネスを考えるⅠ― 世界は動いている。では、日本は?

2026年1月11日 12:03

― ①世界は動いている。では、日本は?                                                                2025年、ドバイでGWS(グローバル・ウェルネス・サミット)※ が開催され、世界のウェルネスをめぐる新たな潮流が発信された。
私たちはまず、その動きを知り、世界がいまどこへ向かっているのかを理解しなければならない。そのうえで、浮足立つことなく、日本はこれからどう動くべきなのかを考える必要がある。

そもそも、日本には「ウェルネス」という概念が根づいてこなかった。
なぜ日本では、ウェルネスが定着しなかったのか。
この問いは、これまで十分に掘り下げられてきただろうか。

この20数年、スパやウェルネスに関わり、取材し、発信してきた立場からすると、「ウェルネスは世界の潮流だから」「市場規模は6.9兆ドルで、さらに拡大する」という説明だけで済ませることに、強い違和感を覚えてきた。それはあまりにも安易で、どこか無責任に思える。

不動産、メンタル、ツーリズムといった分野でウェルネスが伸びていると聞き、「だから日本も伸びる」「同じように拡大するはずだ」と考える。その思考停止に近い“直訳”を、私たちは繰り返してきたのではないか。

重要なのは、世界で起きているトレンドをそのまま輸入することではない。
それを日本の社会、文化、生活の文脈にどう翻訳するのか、という視点である。

日本には、自然との独自の関わり方があり、「養生」という健康観がある。一方で、近代以降は国の医療保険制度に守られてきたことで、自ら健康を獲得していく「能動的な健康づくり」には、どこか慎重になってきた側面もある。これは、欧米のウェルネス文化とは明らかに異なる点だ。

世界の動きを知ることは大切だ。
しかしそれ以上に、日本は自分たち自身を知らなければならない。
Jウエルネスとは、そのための問いを立て直すための言葉なのだと思っている。
※Global Wellness Summit。世界のウェルネス分野の専門家が集い、産業・政策・研究動向を共有する国際会議。

― ②なぜ日本には、ウェルネスが根づかなかったのか

日本には、「四季」「自然」と共に生きる知恵があり、「養生」という独自の健康観がある。季節の移ろいを感じ、無理をせず、身体の声を聴く。そうした考え方は、本来ウェルネスと極めて親和性が高いはずだった。

それでも日本では、ウェルネスという概念は広く定着しなかった。
なぜなのだろうか。

一つの理由として、日本が世界でも稀に見る、堅牢な医療制度を築いてきたことが挙げられる。国民皆保険のもとで、病気になれば医療が支える。その仕組みは、多くの命を守り、安心をもたらしてきた。一方で、自らの健康を「主体的に獲得する」という発想は、相対的に育ちにくかったようにも思える。

欧米のウェルネスは、医療とは距離を保ちながら、「自分の身体と人生をどうマネジメントするか」という思想とともに発展してきた。それに対し日本では、医療とヘルスケア産業が社会全体を包み込むように成長してきた。その違いは、決して優劣ではなく、構造の違いである。

日本のウェルネスを考えるとき、
第一に「ヘルスケアという基盤」があり、
第二に「自然観や養生といった伝統的な健康観」があり、
そこに第三の要素として、「世界のウェルネス潮流」が重なってくる。
日本は、いままさにこの三つの交差点に立っているのではないだろうか。

にもかかわらず、ウェルネスは日本社会では、どこか掴みどころのない存在として受け止められてきた。空気のようで、形が見えにくい。だからこそ、一過性のブームとして扱われがちなのかもしれない。

だが、本当にそうなのだろうか。
日本のウェルネスは、まだ「言葉を与えられていない」だけではないのか。
次に考えるべきは、ウェルネスが流行なのか、それとも社会の基盤なのか、という問いである。

―③ ウェルネスは、流行なのか。それとも基盤なのか
ウェルネスは、季節ごとに着替えるファッションなのだろうか。
それとも、数年で新調する上着のようなものなのだろうか。

日本では、ウェルネスはしばしばヘルスケアの「付加価値」や「オプション」として語られる。インバウンド観光の文脈では、消費を促すためのコンテンツの一つとして扱われることも多い。そうした捉え方は、決して間違いではないが、どこか表層的でもある。

スパ産業への投資拡大を起点としてきたGWSやGWI※が、いま明確に示している大きな方向性は「長寿」である。かつては医療とは距離を取り、別の極を目指しているかのように見えたウェルネスが、ここ数年で医療や科学と急速に接近してきた。ウェルネスは、再び「生きる基盤」の領域へと戻りつつある。

この変化を前に、日本はどう考えるべきなのだろうか。
私たちはこれまで、精神性や自然との共生を重んじる世界のウェルネスニーズの「受け皿」になれる、と信じてきた。確かに、日本の自然観や文化、生活の中にある精神性は、国際的にも高い評価を受けている。

しかし、それだけで十分なのだろうか。
日本のウェルネスは、医療、生活、文化、産業を横断する「基盤」として再定義される必要があるのではないか。

ウェルネスを、流行として追いかけるのではなく、人生や社会を支える土台として捉え直す。その視点に立ったとき、日本が持つ医療制度、ヘルスケア産業、養生の思想、自然との関係性は、新しい意味を持ち始める。

Jウエルネスとは、その再定義のための言葉であり、問いである。
答えを急ぐ必要はない。ただ、日本がどんな未来を選びたいのか。その問いを、自分たちの言葉で考え続けること。それこそが、いま求められていることなのだと思う。

GWS(グローバル・ウェルネス・サミット/世界最大級のウェルネス国際会議)や、
GWI(グローバル・ウェルネス・インスティテュートGlobal Wellness Institute/世界のウェルネス市場動向を調査・発信する国際機関)

2025.12.15

―④ 四季と居るというウェルネス
「四季と居る」という言葉は、Jウエルネスを考える上で、最も日本らしい出発点の一つだった。

日本人は長い時間、四季と共に生きてきた。
春に芽吹きを感じ、夏に生命の勢いを受け取り、秋に実りを味わい、冬に静けさの中で整える。季節は単なる気候の変化ではなく、身体や心のリズムそのものだった。

しかし現代社会では、四季は「感じるもの」ではなく、「情報」として消費される存在になっている。冷暖房で均された空間、季節を問わない食、時間に追われる生活。私たちはいつの間にか、自然のリズムから距離を置いてしまった。

「四季と居る」とは、自然に戻ることではない。
現代の生活の中で、もう一度、季節のリズムを身体と感性に取り戻すことだ。

この考え方は、思想であると同時に、すでに事業の軸にもなっている。
四季をテーマにしたスパや美容、季節の移ろいを感じる食、光や風を取り込む建築、季節体験を組み込んだ観光や教育。そこでは「癒す」こと以上に、「気づかせる」ことが重視されている。

世界のウェルネス市場が求め始めている価値は、効率や即効性ではなく、希少性、感動、気づきだと言われる。その点で、日本の四季は、最も自然に応えられる資源の一つでもある。

重要なのは、四季を「演出」することではない。
四季を、暮らしや空間、サービスの基盤として再編集することだ。

Jウエルネスにおいて「四季と居る」は、単なる自然志向ではなく、感性を取り戻すための装置であり、生活のリズムを再設計する思想である。
そしてそれは、養生、つながり、こころ、未来といった他の軸へと、静かにつながっていく。

ウェルネスとは、何かを足すことではない。
失われつつあるリズムを、思い出すことなのかもしれない。